2024年6月19日、昨日の大雨からツンデレ、雲ひとつない快晴に包まれた。ドレスコードはスマートカジュアル。35歳を超えてから体型が大幅にアップデートされ、スーツが入らなくなってしまった。新調する余裕もないので登山ウェアのMILLET (ミレー)の灰色のポロシャツ、取材用のUNIQLOの黒の感動パンツ、NIKEの真っ赤なスニーカーの出立ち。服のセンスが無さすぎてドレスコードに引っかかる気がしてくる。
大江戸線の長い長い洞窟を抜けると、六本木だった。昼に来るのは何年振りか。六本木の交差点から飯倉片町の方向へ。
街角の風の中に登山家との思い出が漂う。すぐ近くのアンダーグラウンドで毎月、著名人の対談に同席させてもらった。
「一流を目指すなら一流に触れろ」
登山家の口癖。上京して初めて美術館に来たのもアンディ・ウォーホル展の森美術館。尾崎裕哉のLIVEを観たのもEXシアター。六本木は色んな「はじまり」をくれる街。
駅から10分もかからず、大通りの喧騒から外れた路地裏に『キャンティ』はある。昭和35年(1960 年)の誕生。新著『月とクレープ。』の出版ご褒美、そしてパスタ研究。伝説のスパゲティ・バジリコを堪能する。
それ以上に尾崎豊が通いつめた憧れのお店。ランチコース「BIANCO(ビアンコ)、5324円。前菜3品とサラダの盛り合わせ、本日のスープ、仔牛のカツレツ ミラノ風、スパゲッティ バジリコ、デザート。コーヒー。
ジャイアンツ・タイムで15分前に来たら早すぎた。親切な給仕さんが待合室に案内してくれる。
飾ってあるタブローが気持ちいい。初来店の緊張を解いてくれる。この店を自伝に書いている見城徹が、できて間もないのにキャンティには歴史がある、と言ったのも納得。
街の風景、優しい陽射し。尾崎豊の曲が聴こえてきそうだ。予約の11時30分に地下に案内される。
カラフルでポップ。重厚な西麻布のBAR『レッドシューズ』より『キャンティ』のほうが尾崎豊を感じる。ヴェルサーチのスーツに香水、Ray-Banのサングラスをつけた姿が目に浮かぶ。
最初に飲み物を聞かれたので「尾崎豊さんが飲まれたものを覚えてらっしゃいますか?」と質問。ウイスキーとキャンティと教えてくれた。白ワインではなく赤ワイン派だったとか。グラスで1100円。イタリアの赤ワインでは最も安い。赤ワインはこのグラスで飲みたい。今度、買わないと。キャンティは、朝日のようであり夕陽。行き止まりの街で高層ビルを力強く、やさしく見つめる。太陽の破片。尾崎豊の『Forget-me-not』
前菜3品とサラダの盛り合わせ。パンをオリーブオイルにつけて食べる。これが絶品。オリーブオイルはパスタよりパンのほうがマリアージュするかもしれない。乾いたパンが、オリーブオイルの潤いでやさしく瑞々しく踊る。尾崎豊『ダンスホール』
サラダはアンチョビを焼いたもの、ソースはジェノベーゼ。酸味、苦味、甘味。これから人生の酸いも甘いも経験していくフレッシュな彩り。街路樹たちの詩。大学に入って初めて孤独を救ってくれた尾崎豊『はじまりさえ歌えない』のような新鮮さ。
本日のスープ。ブロードかポタージュを選ぶ。ブロードは魚介。パスタにはブロードだが、あえて好きな大根のポタージュ。やさしさの中に、しっかり大地を感じる。素朴だけど高貴。尾崎豊が14歳で作った曲、尾崎豊でいちばん好きな『風にうたえば』
ミラノ風カツレツ。仔牛のカツレツ ミラノ風。パスタとのハーフのセット。至高の薄さ。最適な厚みとは分厚さではなく極限まで肉の厚みを抑えること。肉の歩みを感じる旨味。尾崎豊『卒業』
そこにレモンを絞るとオトナの酸味。十九歳で父親になった親友に贈った『Scrap Alley』に変わる。
スパゲティ・バジリコ。キャンティの代名詞。アクが強くなく、思った以上に素朴。そこがいい。パセリのシャクシャクが心地よく、重力のないパスタ。自由への扉を感じる。だが、一歩一歩の足跡と足音が確実に聴こえてくる。アルバム《壊れた扉から》のオープニング曲、そして六本木に最も似合う曲『路上のルール』
味変ドリクスで粉チーズをかける。変身でも変化でも豹変でもない。まったく別のパスタに生まれ変わる。輪廻転生。主役であるバジリコが完全に消える。なのに旨い、とにかく美味しい。ひたすら優しい。そこに理屈はいらない。尾崎豊『I LOVE YOU』
デザートはカスタードプリン、イチゴのムースケーキ。ここには甘さしかない。平和しかない。でも、ちゃんと戦って生まれたもの。平和は戦いの果てに生まれる。尾崎豊が平和を願った『COOKIE』
最後はエスプレッソ。飲みさしではない。最初からこの量。しっかりした苦味、それを遥かに凌駕する強烈な酸味。本当にエスプレッソなのか?確かにエスプレッソだけど、知っているエスプレッソじゃない。鮮烈。砂糖を入れてはいけない。珈琲の闇の告白を邪魔してはいけない。ふたりの間には誰も入れない。尾崎豊、最期の曲『Mama, say good-bye』
キャンティには尾崎豊が生きている。永遠の胸がある。だが、真価を発揮するのは夜。次は弟と。
パスタの名店シリーズ